祖父の代から浅草で創業し、戦後は湯島で五十有余年の和物かつら製造業の(有)瀬戸商店。
戦前は、一般のご婦人が日本髪の結上げに使う『かもじ』が大勢を占めていました。その後、花嫁さんのかつらへと、時代と共にいろいろ変わりました。最近の結婚式では、お色直しも洋装へと変化し、『和装かつら』も珍しくなってきました。
だが、そんな市場を見通していたかのように、コツコツと着実に夫婦二人三脚で、新しい分野の和物かつら製造を模索、研究しながら歩んで来たのが瀬戸商店の瀬戸貞夫さんと文恵さんご夫妻です。
「昔は浅草にも、私らと同じような店が数十軒はあったんです。でも、いまではほんの数軒。『かもじ』だけでは成り立ちません。三十年前より、古典物・神楽・郷土芸能・日本舞踊の振毛(連獅子)類を手掛けるようになりました。当時、たまたま、国立能楽堂の方が見本を持って来られ、お作りした所、口コミで依頼が来るようになり、新品はもちろん、古い物を復元修理もできるようになりました」と、静かに語る店主の瀬戸貞夫さん(七十歳)です。
過ぎてしまえば何とやらで、語り口はさり気なく穏やかではあるが、同じかつらとはいえ、その当時は、能に使うものなど、全く手掛けたことはなく、それもお能の先生からの直々の依頼とあっては、実に不安であろうはずがありません。

しかし、ここが運命の分かれ道。瀬戸さんの静かだが確実に燃えているチャレンジ精神に火を点けたのです。
「私は五分五分のことだったら、まずは、やってみようと思う方なんです」根っからの研究熱心さが功を奏し、能楽師をもうならせるものが仕上がり、納品。それ以降は瀬戸さんの元へ、日本舞踊の世界までと幅広く注文が舞い込むようになっていったのです。と、ここまでは順当のようですが、「子供たちは三人娘で。私たちの代で終わりかもしれません」と少し寂しく笑います。
「仕事のことでは、ああでもないこうでもないと二人で言い合ったりして、時間を忘れるくらい仕事が楽しいと思うこともあります」と奥さんの文恵さんは明るく微笑みました。
夫婦二人で切磋琢磨、いい仕事をする上での素晴らしいパートナーシップ、何か大事なものを教えていただいたそんな気がしました。



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